舞台は西南戦争さなかの1877(明治10)年、東京・高輪。維新で主を失った旧幕臣の屋敷を安く買った一家が住んでいます。広い庭はススキに覆われ、夜になると何者かが歩く音がする。父親が正体を確かめようと張り込むと、草むらで女の悲鳴を聞き、追っていった自分まで深い穴へ転落します。しかも穴の中には、黙ったままの女がいる。翌朝調べると、庭には九つもの穴が掘られていました。
ここまでは完全な怪談です。狐か、幽霊か。しかし綺堂は超自然現象へ逃げません。隣の英国公使館の男まで穴へ落ち、調査を続けるうち、以前この屋敷に住んでいた旧幕臣が維新時に脱走し、越後で戦死したこと、その妻が最近になって旧宅の所在を尋ねていたことが分かってきます。穴は怪異ではなく、過去に埋められた何かを探す痕跡らしい。もっとも、その推理にも決定的証拠はありません。
面白いのは、怪談の正体が「歴史」へ変わっていくところです。江戸から明治への移行を、私たちは年表なら「1868年、明治維新」と一行で処理します。しかし政権が交代しても、土地には旧所有者の記憶が残り、敗者には失った家と生活が残る。「新時代」の地面を掘れば、旧時代がまだ埋まっているわけです。
綺堂自身、明治の東京で育ち、新聞記者を24年間経験した人物でした。青空文庫の作家紹介によれば、後にはシャーロック・ホームズを原著で読み、江戸を舞台にした「半七捕物帳」を構想しています。 「穴」にも、怪異を怖がりながら証言を集め、仮説を立て、最後まで断定しすぎない探偵的態度があります。
現在読むなら、「都市は過去を上書きして完成するのではない」という読み方ができます。再開発された東京の地下にも、土地の所有、敗者の記憶、忘れられた生活が幾層にも重なっている。怪談とは、消えたはずの過去が現在へ戻ってくる文学なのかもしれません。
[1]青空文庫「穴」
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