1998年8月16日日曜日

最後に人間が決めれば,それは人間の決定なのか


図:未来会議室のAIホログラム評議会(ChatGPTによる)


ある社会で、法律を制定する最終的な投票は、これまでどおり国会議員が行うとします。しかし、その前段階――何を問題として取り上げるか、どの資料を読むか、どの選択肢を比較するか、どの反論を重要とみなすか――の大部分を、高性能なAIが準備するようになったとします。

AIには法的な決定権はありません。採決ボタンを押すのも人間です。しかもAIの提案を拒否する自由も形式上は残っています。それでも長い年月のうちに、人間が「考える材料」そのものをAIから受け取ることが当たり前になれば、政治的意思決定の実質はどこにあるのでしょう。

最終的な決定権が人間に残っている限り民主制は維持されている、と言えるでしょうか。それとも、「何について、どの選択肢の中から考えるのか」を決める能力をAIに委ねた時点で、主権の一部はすでに人間から移っているのでしょうか

この問いで難しいのは、AIが命令する必要がまったくないことです。選択肢を並べ、重要度を付け、議論の入口を決めるだけでも、人間の判断空間そのものを形成できます。しかも同じことは、検索エンジン、新聞編集、官僚組織、専門家にも以前から起きていました。ではAIによる媒介だけを特別視する根拠はどこにあるのか、という問題も残ります。

なぜこの問いを選んだか。生成AIを「人間の判断を助ける道具」と考えるだけでは、判断の前にある議題設定や選択肢形成を見落とします。民主制を「最後に誰が決めたか」だけでなく、「何が決められるものとして現れたか」から考えてみると、AI時代の主権という概念が少し違って見えるからです。

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