1998年8月17日月曜日

「知らない」より「考えようとしない」


図:居酒屋の乾杯と家族の心配(ChatGPTによる)



今朝は、雪の結晶研究で知られる物理学者・中谷宇吉郎の随筆「無知」を読みます。1957年1月、『現代教養講座 第二巻 幸福と自由』に発表された文章で、現在は青空文庫で全文公開されています。

題名から想像する内容とは少し違います。中谷は「知識がないこと」を責めているのではありません。知らないことと、知ろうとしないことを切り分けます。そして後者、つまり自分に都合の悪い事実を意識に上げる労力を避ける態度を「無知」と呼びます。彼の定義を要約すれば、無知とは情報不足ではなく、考えることの回避です。

文章の中心に置かれるのが、当時の日本の酒席です。酒を好む人が、酒を嫌う人にも盃を勧める。中谷はこれを「自分が嬉しいものなら相手も嬉しいはずだ」という思考の典型として扱います。相手の身体や欲求を考えれば不合理なのは簡単に分かる。それなのに習慣として続くのは、知らないからではなく、その不合理さを最後まで考えないからだ、と論じます。そこから飲酒運転、家庭生活、商取引、さらには「待合政治」へと話を広げ、合理的精神の欠如を社会構造の問題として見ていきます。

70年近く前の随筆なのに、現在読むと別の響きがあります。インターネットと生成AIによって、「知らなかった」は以前より成立しにくくなりました。しかし情報へのアクセスが増えれば無知が減る、とも限りません。検索結果やAIの回答のうち、自分に心地よいものだけを受け取り、不都合な反証を調べないこともできるからです。中谷の定義に従えば、情報過多の社会は「無知」の反対ではなく、むしろ無知を巧妙に隠せる社会にもなります。

ただし、中谷の議論には時代的な粗さもあります。精神医学的な語彙を比喩として使う部分などは、現在ならそのまま採用できません。青空文庫自身も、今日では不適切と受け取られうる表現を含むと注記しています。

それでも残るのは、「何を知っているか」ではなく、自分に不利なことまで考えようとしているかを問う視点です。AI時代に読む科学者の随筆として、意外に鋭い一篇です。

青空文庫「無知」全文

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