1998年8月26日水曜日

作られた景色


図:荒海や佐渡によこたふ天河(Fundação JapãoのFacebookから引用)


今朝は松尾芭蕉の一句です。

  荒海や 佐渡によこたふ 天河

1689年、「おくのほそ道」の越後路に置かれた句です。芭蕉が出雲崎から佐渡を望んで詠んだと伝えられ、佐渡市もこの由来を紹介しています。([佐渡市公式サイト][1])

形式は五・七・五。「や」は切字――一句を強く切り、余韻を作る語――です。「荒海や」でまず日本海の暗く激しい水平世界を提示し、その上に「佐渡」、さらに天空を横切る「天河」を置く。わずか十七音なのに、海・島・宇宙という三つの異なる尺度が一枚の画面になります。

ところが、この句は「その晩に芭蕉が見た絶景」として読むと問題が生じます。同行した曾良の日記などから、当時の天候と句の景観が一致しないことが指摘されています。また芭蕉の「銀河の序」には、佐渡が金を産する島である一方、古来流刑の地でもあったことへの感慨が詳しく書かれています。したがって「荒海」は単なる気象描写ではなく、佐渡に積み重なった人間の運命まで含む文学的な海だった可能性があります。([現代俳句協会][2])

ここが今読むと非常に面白いところです。俳句は一瞬を写真のように切り取る文学だと思われがちですが、この名句はむしろ逆かもしれません。芭蕉は旅の途中で見た海、佐渡の姿、波の記憶、七夕の銀河、流人の歴史を圧縮し、現実には一度も同時に存在しなかったかもしれない風景を作った。その人工的な風景のほうが、三百年以上生き残りました。

だからこれは「事実か創作か」という二択ではあまり面白くありません。実景を素材にしながら、経験を組み替えて、現実以上に現実らしい像を作る。それは俳句だけでなく、記憶や絵画、そして生成AIの画像にも通じます。

前週の鴨長明では、月が清流を「尋ねて」きました。今週の芭蕉では、空そのものが巨大な銀河となって佐渡の上に横たわる。同じ夜空でも、今回は静かな美ではなく、自然・歴史・想像力が一つの風景を作るところを味わいたい一句です。

[1]佐渡市指定 有形文化財:芭蕉荒海の句碑 (新潟県佐渡市公式ホームページ)
[2]第35回受賞作 天空の越後路・・・・・芭蕉は「荒海」を見たか(髙野公一 ,現代俳句協会)

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