1998年8月28日金曜日

昭和は繰り返すのか


図:片山杜秀『反復する昭和史』の書影(新潮新書から引用)

今朝の一冊は、片山杜秀『反復する昭和史』(新潮新書)。2026年8月19日刊、256頁、1,056円です。著者は思想史研究者・音楽評論家で、『未完のファシズム』などでも知られます。出版社は本書を、対米従属、保守・愛国、石油危機、テロ、戦争、核不安といった現在の論点を、昭和の出来事と重ねて読む本として位置づけています。([新潮社][1])

題名の「反復」は、歴史が同じ形で再現するという意味ではありません。むしろ、状況が変わっても似た政治的配置や言説が再出現する、という見方です。目次には「二大保守政党という幻」「戦後政治は吉田・岸・鳩山&河野だけで分かる!」などが並び、個々の事件の年代順説明より、現在と過去の「似方」を拾う構成になっています。もとは『週刊新潮』の連載コラムをまとめた本なので、体系的な昭和史というより、歴史的エピソードを現在への補助線として使う読み物と考えるのが適切でしょう。([新潮社][1])

面白いのは、「歴史から学べ」という常套句を、そのまま信じていないところです。もし人間が本当に歴史から簡単に学べるなら、似た失敗は繰り返されないはずです。本書の問いはむしろ、日本は過去から何を学ばなかったのか、なぜ似た構図が再び生じるのか、にあります。歴史を教訓集ではなく、現在の前提を疑うための比較材料として使うわけです。([新潮社][1])

誰に向くか。昭和史を一から学ぶ入門書というより、戦後政治や現在の政治をある程度知っていて、「この構図は以前にもなかったか」と考えたい人に向きます。片山の広い読書量を利用して、政治史だけでなく表現者や当時の言論にも寄り道できるのも魅力でしょう。

注意点もあります。「歴史は繰り返す」という発想は強力ですが、似ている点だけを選べば、どんな現在にも過去の類例を見つけられます。類似だけでなく、何が決定的に違うのかを併読しないと、歴史が予言書になってしまう。その危うさを意識しながら読むと、むしろ本書の使い道は広がりそうです。


1998年8月27日木曜日

本を回して読む


図:本を回して読む,16世紀の「多窓表示」(科学史協会デジタルコレクションから)


今朝の一枚は、イタリア出身の軍事技術者アゴスティーノ・ラメッリが1588年に刊行した『Le diverse et artificiose machine(さまざまな精巧な機械)』第188図の「ブックホイール」です。Science History Institute が公開する原図はパブリックドメインで、複数の本を場所を取らずに参照するための装置として説明されています。([サイエンスヒストリーインスティテュート デジタルコレクション][1])

①何が描かれているか。
大きな垂直の車輪の周囲に、何冊もの本が開いたまま載っています。読者は椅子に座り、車輪を回して必要な本を自分の前へ運ぶ。しかも本を載せる棚は、歯車機構によって回転中も水平を保つよう設計されています。現代風に言えば、一冊ずつ閉じて棚から出す代わりに、複数の資料を常時「開いた状態」で切り替える装置です。([サイエンスヒストリーインスティテュート デジタルコレクション][1])

②当時の人にはどう見えたか。
ラメッリの本は、水揚げ機、製粉機、攻城機械など約200点の装置を収めた、16世紀末の「機械劇場」と呼ばれるジャンルの代表例でした。そこに読書装置が一台だけ紛れ込んでいるのが妙です。大量の書物を同時に参照する必要がある学者にとって、これは単なる珍発明ではなく、知識の増加そのものへの機械的回答だったのでしょう。ラメッリ自身は、足の病気などで動きにくい人にも有用だと説明しています。([Smithsonian Institution Libraries][2])

③現在の知識から見ると
この図はほとんど情報インターフェースの設計図に見えます。重要なのは「本を読む機械」ではなく、複数の情報源を同時に保持し、注意だけを切り替えるという発想です。ブラウザのタブ、複数ウィンドウ、論文PDFの行き来と基本構造が似ています。

ただし、便利さには逆説もあります。参照できる本が増えるほど、読むことは深く一冊に沈む行為から、複数資料を横断する行為へ変わる。情報過多はインターネットが生んだ問題ではなく、印刷物が増えた16世紀にもすでに機械化の対象だった、とこの一枚は教えてくれます。

[1]Science History Institute Plate 188: Book wheel(?utm_source=chatgpt.com)

1998年8月26日水曜日

作られた景色


図:荒海や佐渡によこたふ天河(Fundação JapãoのFacebookから引用)


今朝は松尾芭蕉の一句です。

  荒海や 佐渡によこたふ 天河

1689年、「おくのほそ道」の越後路に置かれた句です。芭蕉が出雲崎から佐渡を望んで詠んだと伝えられ、佐渡市もこの由来を紹介しています。([佐渡市公式サイト][1])

形式は五・七・五。「や」は切字――一句を強く切り、余韻を作る語――です。「荒海や」でまず日本海の暗く激しい水平世界を提示し、その上に「佐渡」、さらに天空を横切る「天河」を置く。わずか十七音なのに、海・島・宇宙という三つの異なる尺度が一枚の画面になります。

ところが、この句は「その晩に芭蕉が見た絶景」として読むと問題が生じます。同行した曾良の日記などから、当時の天候と句の景観が一致しないことが指摘されています。また芭蕉の「銀河の序」には、佐渡が金を産する島である一方、古来流刑の地でもあったことへの感慨が詳しく書かれています。したがって「荒海」は単なる気象描写ではなく、佐渡に積み重なった人間の運命まで含む文学的な海だった可能性があります。([現代俳句協会][2])

ここが今読むと非常に面白いところです。俳句は一瞬を写真のように切り取る文学だと思われがちですが、この名句はむしろ逆かもしれません。芭蕉は旅の途中で見た海、佐渡の姿、波の記憶、七夕の銀河、流人の歴史を圧縮し、現実には一度も同時に存在しなかったかもしれない風景を作った。その人工的な風景のほうが、三百年以上生き残りました。

だからこれは「事実か創作か」という二択ではあまり面白くありません。実景を素材にしながら、経験を組み替えて、現実以上に現実らしい像を作る。それは俳句だけでなく、記憶や絵画、そして生成AIの画像にも通じます。

前週の鴨長明では、月が清流を「尋ねて」きました。今週の芭蕉では、空そのものが巨大な銀河となって佐渡の上に横たわる。同じ夜空でも、今回は静かな美ではなく、自然・歴史・想像力が一つの風景を作るところを味わいたい一句です。

[1]佐渡市指定 有形文化財:芭蕉荒海の句碑 (新潟県佐渡市公式ホームページ)
[2]第35回受賞作 天空の越後路・・・・・芭蕉は「荒海」を見たか(髙野公一 ,現代俳句協会)

1998年8月25日火曜日

問題を解く前に問題を探すAI



図:The Problem Is the Problem から引用


今朝は、Zeyu Zheng、Shengtong Zhang、Jeremy Avigad、Prasad Tetali、Sean Welleckによる「The Problem Is the Problem: Towards Scalable Mathematical Discovery」。arXiv番号は 2608.16977、初回投稿日は2026年8月17日です。([arXiv][1])

これまで「数学をするAI」というと、人間が「この定理を証明せよ」「この予想を反証せよ」と問題を与え、AIが解く構図が中心でした。この論文は、その一段手前をAIに渡します。そもそも何を解くべきかを文献から探させるのです。

著者らが構築したFAR(Find, Attempt, Recommend)は「発見・試行・推薦」の三段階からなる仕組みです。人間は個別の問題ではなく、たとえば「組合せ論のこの方面」という研究方向だけを指定する。FARは文献を検索して未解決問題を拾い、AIに大量に解かせ、有望そうな結果だけを人間の専門家へ送ります。([arXiv][2])

規模が興味深い。まず51,110本の数学論文から5,245本の組合せ論論文を選び、2,742本から6,453件の予想・未解決問題候補を抽出。それを「適切に定式化され、まだ未解決らしい」4,717件に絞って一斉に試行し、598件の解決候補を得ます。最後に77件まで機械的に選別し、著者らはそのうち興味に基づいて15件を手作業で検証しました。既存予想への反例や証明、エルデシュ=シュトラウスの問いへの回答などが含まれます。([arXiv][2])

新しいのはAIの「証明能力」そのものより、数学研究を希少資源の配分問題として捉えたことでしょう。AIの計算資源にも限界があるが、それ以上に数学者が結果を読む時間が足りない。そこで「どの問題にAIを投入し、どの結果だけ人間が読むか」を最適化する。この発想は、研究者が問題を選ぶという数学のかなり人間的な部分に踏み込んでいます。

ただし留保は重要です。これは98ページのプレプリントで、査読済みではありません。また4,717件が本当にすべて未解決なのか、598件の候補がどの程度正しいのかを、人間が全件確認したわけでもありません。著者自身も、人間による専門的レビューを最終段階から排除してはいません。([arXiv][2])

それでも面白い問いが残ります。数学でAIが変えるのは「問題を解く方法」だけなのか。それとも、何を問題として発見するかという研究の入口そのものなのか。前者より後者のほうが、実は数学の姿を大きく変える可能性があります。



1998年8月24日月曜日

空想を実験できる形にする


図:鳥の声を探る山岳観測者


今朝は、物理学者 寺田寅彦 の短い随筆「疑問と空想」を読みます。1934年10月『科学知識』に発表された二つの小品で、題材はホトトギスの鳴き声と九官鳥の物まね。青空文庫で全文を読めます。([青空文庫][1])

第一話の出発点は、夏の信州で聞いたホトトギスです。寺田は、なぜこの鳥は飛びながら何度も鳴くのか、と疑問を持つ。そして大胆にも、自分の声が地面や山腹で反射するのを利用して、高度や地形を知っているのではないかと想像します。つまり、鳥が一種のエコーロケーション(反響定位)をしているのではないか、という仮説です。([青空文庫][2])

面白いのは仮説の正否ではありません。寺田は鳥の高度を約170メートルと仮定し、音が地面で反射して戻る時間を約1秒と見積もります。そして鳴き声の時間間隔との関係を考える。さらに「これは単なる想像である」と明記したうえで、鳥の高度と鳴き声のテンポを同時測定すれば検査できる、と実験方法まで提案します。([青空文庫][2])

第二話では九官鳥が人間の言葉をまねる現象から、さらに奇妙な問いへ進みます。発声器官が人間と違うのに、なぜ私たちには「同じ言葉」に聞こえるのか。寺田は、音の物理的構造だけでなく、人間が期待する音をそこに聞き取る心理作用も考えます。そして人間と九官鳥の録音を周波数分析して比較すればよい、とまた検証方法を出してきます。([青空文庫][2])

90年以上後の現在から見ると、個々の推測には当然修正が必要です。しかし、この文章には科学の小さな原型があります。観察する。妙だと思う。大胆に仮説を立てる。数字で概算する。そして最後に、自分の仮説が間違っていても意味のある測定方法を考える

生成AIなら仮説を大量に作れます。だからこそ現在ますます希少になるのは「面白い空想」そのものではなく、その空想を、どうすれば間違いだと判定できる問いへ変換できるかなのかもしれません。寺田の短文は、その変換作業をほとんど実況中継のように見せてくれます。

[1]図書カード:疑問と空想(青空文庫)
[2]寺田寅彦:疑問と空想(青空文庫)

1998年8月23日日曜日

完全に「予測」できればそれは「理解」なのか


図:天空の神経結晶観測所


ある物理系について、AIが作ったモデルがあるとします。そのモデルは、どんな初期条件を与えても、実験で観測される量を事実上すべて正しく予測できる。温度、圧力、相転移、スペクトル、時間発展まで、測定精度の限界内では一度も外さないとします。

ところが、そのモデルの内部は巨大なニューラルネットワークで、人間が使ってきた「粒子」「場」「対称性」「保存則」「相互作用」といった概念には分解できません。入力すると答えは出るが、なぜそうなるのかを、人間が理解できる少数の原理に言い換えることはできない。

このとき、その物理系を私たちは「理解した」と言ってよいのでしょうか

もし「正しく予測できること」が理解なら、このAIは人間のどんな理論より深く理解していることになります。しかし、理解には「なぜ」を説明する概念構造が必要だと考えるなら、予測能力が完全でも理解とは呼べません。

さらに厄介なのは、人間の物理理論も究極的には予測装置だ、という反論です。ニュートン力学の「力」、量子力学の「波動関数」、統計力学の「エントロピー」も、自然そのものではなく、人間が世界を圧縮して記述するための概念です。ならば、人間に理解できる形へ圧縮されていることを「理解」の条件にするのは、単なる人間中心主義なのでしょうか。

問い:自然現象を完全に予測できるが、その内部原理を人間が概念として理解できないAIが存在するとき、「物理学を理解している」のはAIでしょうか、人間でしょうか。それとも、そもそも理解という言葉の定義を変える必要があるのでしょうか。

この問いを選んだのは、生成AIが科学の「道具」から「モデルを発見する主体」へ近づくほど、科学の目的が予測なのか説明なのかという古い問題が、抽象的な哲学ではなく実務上の問題になるからです。物理学が何を成功と呼ぶのかを考え直す入口になります。

1998年8月22日土曜日

原子が動く前に電子が道をつくる


図:金属における光誘起隠れ状態の超高速形成の解明(東京科学大学から引用)

   
昨日8月21日に改めて紹介された東京科学大学などの研究が、記事の種として面白いです。光を当てた物質が通常とは異なる「光誘起隠れ状態」へ移る、その最初の30フェムト秒を捉えた研究です。フェムト秒は1000兆分の1秒。論文自体は7月22日付の *Physical Review Letters* に掲載されています。([Science Tokyo Prospective students][1])

対象はMOF(金属有機構造体:金属イオンと有機分子を組み合わせた結晶性物質)。研究チームはわずか6フェムト秒のレーザーパルスを使った時間分解反射分光で、光照射直後の反射スペクトルを追跡しました。すると最終状態へ一足飛びに移るのではなく、まず隣接サイト間の結合が強・弱・強・弱と交互になるボンド秩序波という電子状態が一瞬現れ、その後に原子がわずかに移動して隠れ状態が成立する、という順序が理論計算との比較から示されました。([Science Tokyo Prospective students][1])

ここでKAMEKIX向きなのは「30フェムト秒」という記録そのものより、物質の形が変わる前に電子の関係が変わるという因果の順番です。私たちは相転移というと、原子や分子が並び替わって性質が変わる、と考えがちです。しかしこの例では、電子がまず新しい結合パターンをつくり、それを追うように原子が動く。いわば電子が「仮設の設計図」を先に描いているように見えます。

記事にするなら、ここから「物質の状態とは何によって決まるのか」へ広げられます。温度を上げ下げして平衡状態を選ばせる従来の物性物理に対し、超短パルス光は、熱平衡では普通たどり着けない状態へ物質を送り込める。しかも今回の結果は、その途中経路そのものを観測対象にしています。将来の高速デバイスへの応用はまだ可能性の段階ですが、物性を「完成した状態」ではなく「生成される過程」として見るところが魅力です。([Science Tokyo Prospective students][1])

1998年8月21日金曜日

政治を「国別」ではなく「課題別」に読む


図:世界をつなぐ光と正義の輪(ChatGPTによる)


今朝の一冊は、岩崎正洋・松尾秀哉編『世界政治5――新たな政治の課題』(筑摩書房、2026年8月4日刊、ちくま新書、288頁、1078円)です。シリーズ全5巻の最終巻で、ジェンダー平等、排外主義、政治の司法化、AI、パンデミック、薬物問題など、従来の「政党」「選挙」「体制」といった枠だけでは捉えにくい現代政治の論点を、比較政治学の方法で横断します。([筑摩書房][1])

比較政治学とは、複数の国や制度を比べることで、ある政治現象がその国固有の事情なのか、より一般的な構造なのかを見分けようとする分野です。本書の面白さは、「日本のAI政策」「フィリピンの薬物問題」のように各国を別々に眺めるのではなく、異なる政治課題に対して制度や政治体制がどう作用するかを見るところにあります。たとえばパンデミック対策については、政治体制の違いが政策対応にどう影響するかを扱う章があることが確認できます。([Wikipedia][2])

とくに惹かれるのは、AIを技術論ではなく政治制度の問題として位置づけている点です。AIについて「性能が高いか」「仕事を奪うか」だけを問うのではなく、誰がルールを決め、誰が監視し、どの権利を守るのかという政治の問題として扱う。この視点に立つと、AIは新技術というより、既存の民主主義制度を照らす試験紙になります。

本書は単著ではなく、多数の研究者による分担執筆です。したがって全体が一本の物語として進む本というより、現代政治の論点を複数の窓から見るアンソロジーに近いはずです。そこは好みが分かれるでしょう。一方で、一つの立場に寄りかからず、国ごとの差異を見比べたい人には向いています。フィリピンの違法薬物政策やLGBTをめぐる政治など、かなり具体的なテーマも含まれています。([筑摩書房][1])

未読部分については評価できません。ただ、出版社の内容紹介を見る限り、「AIと民主主義」「ポピュリズム」「政治制度」を個別テーマとしてではなく、比較可能な政治現象として並べ直す入口として有望です。最近の政治を追うほど個別事件に引きずられがちですが、その背後にある制度差を見たいときに読む価値がありそうです。


[1]「世界政治5−新たな政治の課題」(岩崎正洋,筑摩書房)
[2]安中進(Wikipedia)


1998年8月20日木曜日

ノミが怪物になった日


図;ミクログラフィアのノミ(Science History Institute から引用)

今朝の一枚は、ロバート・フックが1665年の『顕微鏡図譜(ミクログラフィア)』に載せたノミの顕微鏡図です。Science History Institute が初版の銅版画を高解像度で公開しており、パブリックドメインです。

① 何が描かれているか。
一見すると昆虫図鑑のノミですが、実物は数ミリしかありません。フックは顕微鏡で拡大し、節のある脚、鋭い爪、硬そうな外皮、口器などを巨大な銅版画にしました。小さすぎて肉眼ではほとんど形を意識しない生物が、甲冑をまとった奇怪な動物のように現れます。『Micrographia』は38枚の銅版を収めた、顕微鏡観察を大規模に図示した最初期の重要書でした。

② 1665年の人にはどう見えたか。
ここで重要なのは、単に「ノミを詳しく描いた」ことではありません。17世紀の読者は、日常的に知っていたノミの中に、肉眼では存在さえ確認できなかった精巧な構造を突然見せられました。顕微鏡は世界を拡大したというより、人間の感覚だけでは世界の姿を決められないことを視覚的に示した装置だった、と見ることができます。『Micrographia』が1665年にロンドンで刊行されたこと、フック自身が顕微鏡観察を図版化したことは一次資料から確認できます。

③ 現在の知識から何が見えるか。
現代なら、この「甲冑」はキチン質を主成分とする外骨格であり、強大な後脚は跳躍への適応だと理解できます。ただしフックの図は現代の顕微鏡写真ではありません。レンズを覗いて得た複数の観察を、人間の手で一枚の像に再構成したものです。だからこれは「自然そのもの」ではなく、観測装置+観察者+描画技術が共同で作った科学的イメージでもあります。

生成AIの画像を見る現在、この点は意外に新鮮です。「見えるもの」はいつから証拠になるのか。360年前の巨大なノミは、科学画像にも最初から「観測」と「表現」の間の翻訳があったことを思い出させます。

1998年8月19日水曜日

月が川を「尋ねて」くる


図:瀬見の小川(ChatGPTによる)

今朝は、鴨長明の一首です。『方丈記』の作者として知られる長明ですが、本人は歌人としての評価にも強い思いを持っていました。
石川や 瀬見の小川の 清ければ
月も流れを たづねてぞすむ
新古今和歌集』巻十九・神祇、1894番。賀茂社の歌合で「月」を題に詠まれた歌です。現在の京都・下鴨神社糺の森には「瀬見の小川」がありますが、長明のいう瀬見の小川は本来、賀茂川の異称だったと考えられています。([JapanKnowledge][1])

大意は、「石川の瀬見の小川はあまりに清らかなので、月までもこの流れを尋ねてやって来て、澄んだ姿を水面に宿している」。ここで巧いのが最後の「すむ」です。「澄む」と「住む」を重ねる掛詞――一つの音に二つの意味を働かせる和歌の技法――になっています。月が水に澄んで映ると同時に、神が清浄な土地に「住む」、すなわち鎮座することまで響かせます。([アサヒネット][2])

ところが、この美しい歌には少し可笑しい後日談があります。長明自身が『無名抄』に書き残しています。最初の歌合では、判者から「そんな川があるのか」と疑われて負けにされました。再判定した歌人・顕昭も「聞いたことがない」と判断を保留。後日、長明が「賀茂川の異名で、賀茂社の縁起にある」と説明すると、顕昭は驚いたといいます。長明は賀茂社の神職の家に生まれていたので、いわば土地と家に伝わる語彙を歌壇へ持ち込んだのでした。([JapanKnowledge][1])

この逸話を知ると、「たづねて」という語が妙に面白くなります。歌の中では月が川を「尋ねて」くる。歌の外では、判者たちが「瀬見の小川とはどこだ」と尋ねる。美しい月夜の歌の背後に、言葉の真偽をめぐる小さな論争があるわけです。

しかも長明は後に、この歌が『新古今集』に採られたことを非常に喜びました。『方丈記』では、住居も財産も人の世も流れ去ると書いた人物が、若いころには「自分の言葉が歌集に残ること」にこれほど執着していた。その人間臭さまで含めて読むと、八百年前の一首が急に近く感じられます。

[1]下鴨神社|日本歴史地名大系|ジャパンナレッジ"

1998年8月18日火曜日

折り紙でしか作れない七角形


図:折り紙による7角形グラフ(arXiv 2608.13592から引用)



今朝は数学から一篇。Haroldo Costa Silva Filho「Origametry and antagonistic heptagon graphs: the braced {35,1} and the complete {21,2}」です。arXiv番号は 2608.13592、投稿日は2026年7月28日。8月17日の数学新着一覧に掲載されました。6ページ、図2点という短い論文です。
題材は「単位距離グラフ」。すべての辺の長さが1になるよう平面上に配置できるグラフです。著者は、どちらも七角形を思わせる二つのグラフを比べています。一方は頂点21・辺42の「完全七角形」、もう一方はそこから隣接する2頂点を取り除いた頂点19・辺35の「補強七角形」。見た目は近いのに、数学的性質が正反対だというのが出発点です。

面白いのは、ここで定規とコンパスではなく折り紙幾何学(origametry)が登場することです。正七角形自体が定規とコンパスでは作図できません。しかし折り紙では、紙を折って点や線を一致させる操作によって三次方程式まで解けるため、定規とコンパスより強い作図能力を持ちます。論文では藤田−羽鳥の折り紙公理を使い、七角形グラフの作図可能性を代数体の性質と結びつけています。

さらに妙なのは剛性です。完全七角形は辺が多く、形が一意に決まる「大域的剛性」を持つ。一方、辺をわずかに取り除いた補強七角形は、局所的には必要最小限の剛性を持ちながら、全体としては一意に決まりません。その可能な実現数を数えるLaman numberは 3,869,504 に達し、しかもその素因数103と587のため、単一の折り紙操作でも一般には作れない領域へ出てしまいます。

ここがこの論文の「引っかかる」ところです。紙を一枚折るという極めて物理的な操作が、グラフの剛性、三次方程式、体の拡大、組合せ論を一本につないでいる。しかも「辺を減らしただけ」で、作図の世界が急に何百万通りへ裂ける。形とは、辺の集合だけではなく、代数的な可能性の塊なのだと見えてきます。

留保として、これは6ページのプレプリントで、査読済み論文ではありません。また著者自身も、Edward Pegg Jr.との往復書簡から生じた問題だと記しています。完成した大理論というより、幾何・代数・折り紙の境界に置かれた、かなり魅力的な小問題として読むのが適切でしょう。

1998年8月17日月曜日

「知らない」より「考えようとしない」


図:居酒屋の乾杯と家族の心配(ChatGPTによる)



今朝は、雪の結晶研究で知られる物理学者・中谷宇吉郎の随筆「無知」を読みます。1957年1月、『現代教養講座 第二巻 幸福と自由』に発表された文章で、現在は青空文庫で全文公開されています。

題名から想像する内容とは少し違います。中谷は「知識がないこと」を責めているのではありません。知らないことと、知ろうとしないことを切り分けます。そして後者、つまり自分に都合の悪い事実を意識に上げる労力を避ける態度を「無知」と呼びます。彼の定義を要約すれば、無知とは情報不足ではなく、考えることの回避です。

文章の中心に置かれるのが、当時の日本の酒席です。酒を好む人が、酒を嫌う人にも盃を勧める。中谷はこれを「自分が嬉しいものなら相手も嬉しいはずだ」という思考の典型として扱います。相手の身体や欲求を考えれば不合理なのは簡単に分かる。それなのに習慣として続くのは、知らないからではなく、その不合理さを最後まで考えないからだ、と論じます。そこから飲酒運転、家庭生活、商取引、さらには「待合政治」へと話を広げ、合理的精神の欠如を社会構造の問題として見ていきます。

70年近く前の随筆なのに、現在読むと別の響きがあります。インターネットと生成AIによって、「知らなかった」は以前より成立しにくくなりました。しかし情報へのアクセスが増えれば無知が減る、とも限りません。検索結果やAIの回答のうち、自分に心地よいものだけを受け取り、不都合な反証を調べないこともできるからです。中谷の定義に従えば、情報過多の社会は「無知」の反対ではなく、むしろ無知を巧妙に隠せる社会にもなります。

ただし、中谷の議論には時代的な粗さもあります。精神医学的な語彙を比喩として使う部分などは、現在ならそのまま採用できません。青空文庫自身も、今日では不適切と受け取られうる表現を含むと注記しています。

それでも残るのは、「何を知っているか」ではなく、自分に不利なことまで考えようとしているかを問う視点です。AI時代に読む科学者の随筆として、意外に鋭い一篇です。

青空文庫「無知」全文

1998年8月16日日曜日

最後に人間が決めれば,それは人間の決定なのか


図:未来会議室のAIホログラム評議会(ChatGPTによる)


ある社会で、法律を制定する最終的な投票は、これまでどおり国会議員が行うとします。しかし、その前段階――何を問題として取り上げるか、どの資料を読むか、どの選択肢を比較するか、どの反論を重要とみなすか――の大部分を、高性能なAIが準備するようになったとします。

AIには法的な決定権はありません。採決ボタンを押すのも人間です。しかもAIの提案を拒否する自由も形式上は残っています。それでも長い年月のうちに、人間が「考える材料」そのものをAIから受け取ることが当たり前になれば、政治的意思決定の実質はどこにあるのでしょう。

最終的な決定権が人間に残っている限り民主制は維持されている、と言えるでしょうか。それとも、「何について、どの選択肢の中から考えるのか」を決める能力をAIに委ねた時点で、主権の一部はすでに人間から移っているのでしょうか

この問いで難しいのは、AIが命令する必要がまったくないことです。選択肢を並べ、重要度を付け、議論の入口を決めるだけでも、人間の判断空間そのものを形成できます。しかも同じことは、検索エンジン、新聞編集、官僚組織、専門家にも以前から起きていました。ではAIによる媒介だけを特別視する根拠はどこにあるのか、という問題も残ります。

なぜこの問いを選んだか。生成AIを「人間の判断を助ける道具」と考えるだけでは、判断の前にある議題設定や選択肢形成を見落とします。民主制を「最後に誰が決めたか」だけでなく、「何が決められるものとして現れたか」から考えてみると、AI時代の主権という概念が少し違って見えるからです。

1998年8月15日土曜日

宇宙を先に保存する


図:宇宙を結ぶ虹色の観測網(ChatGPTによる)


昨日8月14日、Sloan Digital Sky Survey(SDSS)が、南半球を含むSDSS-Vの大規模な分光データを公開したというニュースが出ました。公開された新しいスペクトルは300万本以上。星、星雲、X線源、活動銀河核などが含まれます。SDSS-Vは米ニューメキシコ州だけでなく、チリのラス・カンパナス天文台でも観測するため、従来のSDSSでは十分覆えなかった南天まで同じ仕組みで調べられるようになった点が重要です。(ScienceDaily

「スペクトル」とは、天体の光を波長ごとに分解したものです。写真が「そこに何が見えるか」を記録するのに対し、スペクトルからは温度、元素組成、運動速度などが読み取れる。しかもSDSS-Vが面白いのは、宇宙を一度だけ撮る静的な地図ではなく、同じ天体を繰り返し観測する「時間領域分光」を大規模に進めていることです。ブラックホール周辺の変化や連星の運動など、宇宙を「ものの配置」ではなく「変化する現象」として記録する方向へ天文学が移っています。SDSS-Vは銀河系、ブラックホール、近傍宇宙を三つの主要プロジェクトで調べる構想です。(SDSS - Mapping the Universe)

KAMEKIXの記事の種として面白いのは、ここから「観測とは何か」という話へ進めることです。かつて天文学者は望遠鏡を覗き、対象を選び、記録しました。いまや観測装置が何百万ものスペクトルを蓄積し、研究者は後からデータベースを探索して、まだ誰も問いを立てていなかった現象を発見する。つまり科学では、問い→観測→発見だけでなく、観測→巨大アーカイブ→後から問いが生まれるという順序が強くなっています。 

これは、過去の記事を蓄積しておき、後からAIが思いがけない接続を発見するKAMEKIXの仕組みとも少し似ています。違うのは、SDSSが「宇宙を先に保存する」のに対して、KAMEKIXは「過去の自分を先に保存する」ことです。巨大な記録は記憶の代用品ではなく、まだ存在していない問いのための観測装置なのかもしれません。

記事にするなら、仮タイトルは「宇宙を先に保存する」「問いより先にデータがある」「三百万本の光をあとから読む」の三案が考えられます。
 
[1]SDSS公式サイト

1998年8月14日金曜日

犬種で「性格」は決まるのか


図:いぬ(ChatGPTによる)

今朝の一冊は、今野晃嗣・村山美穂『犬の性格を科学する――遺伝子でひもとく「最良の友」の進化』(集英社新書、2026年8月7日刊、1375円)。動物心理学者と動物遺伝学者が、「柴犬は忠実」「トイ・プードルは社交的」といった犬種別の性格観を、行動と遺伝子の両側から検討する本です。([集英社新書][1])

目次の構成がよくできています。まずオオカミとイヌの性格差を問い、次に柴犬やシベリアン・ハスキーなどの古代犬種、チワワやトイ・プードルなどの現代犬種を比較する。そして後半で候補遺伝子研究からGWASへ進みます。GWAS(ゲノムワイド関連解析)とは、ゲノム全体を調べ、ある性質と統計的に関連する遺伝的変異を探す方法です。最後は「イヌとともに幸せになる道」で締めくくられています。([集英社新書][1])

面白いのは、これは単なる「犬の雑学」ではないことです。「性格」という、見えるようで直接には見えないものを、科学はいったいどう測るのかという問題が中心にあります。ましてイヌは言葉で自己申告できず、感覚世界も人間とは違う。本書には「イヌの性格をどう測定するか」「愛犬は『楽観的』か」といったコラムもあり、性格を固定的なラベルではなく、測定可能な行動特性として扱おうとする研究の手つきが見えてきます。([集英社新書][1])

さらに、家畜化という巨大な自然実験があります。オオカミからイヌへの進化では、人間との共生によって身体だけでなく行動も選択されました。すると「遺伝か環境か」という古典的二分法ではなく、遺伝的傾向、犬種形成、人間による選択、個体の経験がどう重なるか、という問いになります。これは人間の性格を考えるときにも、そのまま跳ね返ってくる問題です。

注意点は、出版社が公開している目次と内容紹介をもとにした推薦であり、私は本書全体を通読したうえで評価しているわけではないことです。それでも、犬好き向けというより、**「性格を科学するとは何をすることなのか」に興味のある人に向く本**として、かなり面白そうです。


1998年8月13日木曜日

部屋そのものが百科事典だった



図:Museum Wormianum科学史協会デジタルコレクションから引用)

今日見るのは、デンマークの医師・博物学者オーレ・ヴォーム(Ole Worm, 1588–1654)の収集室を描いた、1655年刊『Museum Wormianum』の見開き銅版画です。ヴォームの死後、ライデンで刊行された同書は、彼の自然史コレクションを記録したもので、この図版はG. Wingendorpによるものです。Science History Institute所蔵本はパブリックドメインとして公開されています。

① 何が描かれているか。
壁も天井も棚も、ほとんど空白がありません。魚や鳥の剝製、骨格、貝殻、巨大な亀甲、角、鉱物らしき標本、武器や道具が、大小入り交じって並んでいます。中央には物を取り出して観察するための机があり、部屋全体が巨大な分類装置のようです。書物そのものも、鉱物・植物・動物・人工物という大きな区分で編成されていました。

② 17世紀の人にはどう見えたか。
これは現代の博物館というより「驚異の部屋(Wunderkammer)」です。珍奇なものを集めることは、単なる趣味ではなく、世界の多様性を一室に縮約して見せる知的行為でした。まだ生物学・地質学・民族学といった専門分野が分離していないため、自然物と人工物が同じ視野に置かれています。ヴォームの特徴は、王侯の豪華な珍品だけでなく、北欧の比較的身近な自然物も収集対象にした点でした。

③ 現在の知識から何が見えるか。
面白いのは、「分類学が未熟だった」と見るだけでは足りないことです。ここでは、まず物を集め、並べ、比較し、触れ、記述するという手続きが先にあります。現代科学では分類体系が先に見えるため忘れがちですが、知識はしばしば、このような雑然とした具体物の集積から生まれます。完成した百科事典ではなく、百科事典になる直前の世界が一枚の絵になっている、と見ると、この部屋は急に現代的に見えてきます。

1998年8月12日水曜日

おはようKAMEKIX

28年前にタイムワープした。

2026年〜2030年の曜日の巡りや閏年の配置と同じパターンになっている過去の年をGeminiに尋ねたところ,曜日の巡りと閏年の周期が,28年周期で完全に循環することがわかった。前回の周期でこれに相当するのは,1998年〜2002年である。

Q(koshix):
あなたは,依頼すれば以下のリストを毎日(自動)実行できますか?
やりやすい順に並べて,0-10点で点数化してください。
また,この他に創造的なアイディアがあれば提案してください。
いま,実際に実行する必要はありません。検討段階なのです。
クリエイティブリスト
(1) 青空文庫の短編1つのあらすじと感想
(2) arxivの新着論文でユニークなものの概要
(3) 先週のニュースで重要なものを1つ解説
(4) SFショートショートを1つ創作
(5) 科学トピックの概念をわかりやすく解説
(6) 物理イラストのTikZファイルを1つ製作
(7) 俳句・短歌・現代詩を1つ選んで解題
(8) 著作権切れの絵画・音楽を1つ選んで解説
(9) 新刊図書のお薦め書評

A(ChatGPT):
(回答略)

Q(koshix):
あなたの提案を受けて次のリストに修正しました。 
[クリエイティブリスト] 
(月) 青空文庫の短編1つののあらすじと感想
(火) arxivの新着論文でユニークなものの概要
(水) 俳句・短歌・漢詩を1つ選んで解題
(木) 一枚の古い図版を読んで解説
(金) 新刊図書の推薦文の紹介
(土) 今日のKAMEKIX素材の提示
(日) AIからkoshixへの問い
このローテーションで毎朝知的配給を受ける仕組みをつくれますか? 必要な条件や課題などを教えてください。

A(ChatGPT):
(回答略)

Q(koshix):
名称は「おはようKAMEKIX」,分量は800-1200字程度でお願いします。
月=読む、火=発見する、水=味わう、木=見る、金=探す、土=書く、日=考える。
はいいですね。その他もすべてあなたの提案をいかした仕様にして登録してください。

A(ChatGPT):

おはようKAMEKIX――毎朝届く「知的配給」の仕組み

1.「おはようKAMEKIX」とは何か

「おはようKAMEKIX」は、ChatGPTが毎朝一度、自動的に一つの知的素材を選び、短い解説や問いとして届ける仕組みである。

目的は、ニュースを大量に収集することでも、知識を効率よく詰め込むことでもない。毎朝ほんの数分、普段とは少し違う方向から一つの作品、一つの論文、一枚の図、一冊の本、一つの問いに触れることによって、その日の思考に小さな入口をつくることを目指す。

一回の分量は、おおむね800〜1200字とする。長大な解説ではなく、朝に読める密度を保ちながら、「もう少し考えてみたい」「原典を見てみたい」「文章にしてみたい」と思える程度の余白を残す。

毎日同じ種類の情報を届けるのではなく、曜日によって知的活動そのものを切り替える。
(月=読む,火=発見する,水=味わう,木=見る,金=探す,土=書く,日=考える)
一週間を一つの小さな知的サイクルとして構成するところに、「おはようKAMEKIX」の特徴がある。

2.一週間の構成

月曜日――読む

青空文庫から短編、小品、随筆、短い評論などを一つ選ぶ

作品名と作者を示したうえで、簡潔なあらすじと、その作品の面白さ、現在読む意味を解説する。

有名作品だけを繰り返すのではなく、あまり知られていない作品も積極的に取り上げる。小説だけに限定せず、短い随筆や評論も対象とすることで、近代日本語そのものの幅を楽しめるようにする。

目的は「名作を勉強する」ことではなく、一週間の始まりに一つの文章と出会うことである

火曜日――発見する

arXivに新しく投稿された論文の中から、一つを選んで紹介する

単純に「重要そうな論文」を選ぶのではない。発想が意外である、異なる分野を接続している、研究対象が奇妙である、方法が新しい、といった意味で「何か変わっている」論文を優先する。

タイトル、著者、投稿日、arXiv番号を確認し、研究の背景、何を行ったのか、どこが新しいのか、なぜ面白いのかを説明する。

奇抜さだけで疑似科学的な論文を選ぶことは避ける。また、論文の主張と、それについてのAIの評価を区別する。

火曜日は、世界のどこかで昨日まで誰も考えていなかったことに触れる日である

水曜日――味わう

俳句、短歌、漢詩から一つを選び、解題する

原則として著作権上の問題のない古典作品を対象とし、作品そのもの、作者、時代背景、言葉の意味、形式、表現上の工夫などを説明する。

ただし、単なる現代語訳や語句解説にはしない。

短い言葉の中に、なぜこれほど多くの意味や感覚が残るのか。その作品が数十年、数百年を経ても読まれる理由は何なのか、というところまで踏み込む。

火曜日が新しい知識との遭遇なら、水曜日は古い言葉の中に潜んでいるものをゆっくり取り出す日である

木曜日――見る

古い図版を一枚選び、それを読む

対象は科学図版、博物図譜、星図、解剖図、古地図、機械図、建築図、百科事典の挿絵、浮世絵、宗教図像など、広く考える。

解説は原則として三段階で行う。
第一に、「そこには何が描かれているか」。
第二に、「当時の人にはそれがどのように見えたか」。
第三に、「現在の知識を持つ私たちには何が見えるか」。

図版は単なる昔のイラストではない。それを作った時代の知識体系、世界観、技術、思い込みまでが一枚の中に圧縮されている。

木曜日は、文章ではなく視覚資料から過去の知性を読む日とする

金曜日――探す

最近刊行された本から一冊を選び、推薦紹介する

ここでは意図的に「書評」とは呼ばない。

AIがその本の全文を読んでいない場合があるため、出版社の書誌情報、目次、公開された抜粋、著者インタビュー、信頼できるレビューなどを確認した範囲で、「どのような本なのか」「何が新しいのか」「誰に向いているのか」「読む価値がありそうなのはなぜか」を紹介する。

確認できていない内容を、読んだかのように語ることはしない。

金曜日は、新しい本を買う日ではなく、「こんな本が世の中に出ている」と知る日である

土曜日――書く

「今日のKAMEKIX素材」を一件提示する

過去24時間から一週間程度に現れた論文、ニュース、文化現象、歴史資料、統計、技術、社会現象などを調べ、その中からブログ記事へ育ちそうなものを一つだけ選ぶ。

単なるニュース要約ではなく、
1. 何が起きているのか
2. なぜ面白いのか
3. これまでKAMEKIXやkoshixで扱ってきたテーマとどう接続できるか
4. 記事にするならどこを論点の核にするか
5. 仮タイトル
まで考える。

土曜日だけは「読むための配給」ではなく、「書くための種」を届ける

一週間に蓄積された読書、論文、詩、図像、本などが、場合によってはここで文章へ変わる。

日曜日――考える

AIからkoshixへ、一つの問いを出す

簡単に答えられるクイズではない。

科学、物理、AI、政治制度、歴史、思想などについて、普段当然だと考えている前提を少し揺さぶるような問いを選ぶ。

たとえば、「正しい説明とは何か」「制度を維持することと理念を維持することは同じか」「AIが知識を外部化したとき、人間に残る知性とは何か」といった種類の問いである。

AIは、その場では自分の答えを出さない。

なぜその問いを選んだのかだけを短く説明し、問いそのものを残す。

日曜日は知識を増やす日ではなく、一週間に一度、前提を疑う日である

3.情報の扱い

・「おはようKAMEKIX」では、事実、推測、評価をなるべく区別する。
・arXiv、新刊、図版、土曜日の素材など、現在の情報に依存する場合にはWeb上の情報を確認し、可能な限り一次資料を優先する。
・論文であれば原論文、書籍であれば出版社、美術資料であれば美術館・博物館・図書館などの所蔵機関を基本とする。
・AIが十分確認できないことについては、確認できた範囲を明示する。
・「もっともらしい話を作る」より、「ここまでは分かるが、ここからは分からない」と区切ることを優先する。

4.重複を避ける

毎日続ける以上、最大の敵の一つはマンネリである。

同じ作品、同じ論文、同じ本を繰り返さないようにし、さらに題材そのものが違っていても、ほぼ同じ話ばかりが続かないよう配慮する。

たとえば火曜日に量子コンピュータの論文ばかりが続いたり、水曜日に芭蕉ばかりが登場したりすることは避ける。

ただし、これは完全なデータベース管理ではないため、長期間運用した場合には重複が起こる可能性がある。その場合には必要に応じて、過去の「知的配給」を別途記録し、題材一覧を管理する仕組みを追加することができる。

5.「おはようKAMEKIX」が目指すもの

この仕組みは、AIに毎朝「役に立つ情報」を選ばせるためだけのものではない。
むしろ、役に立つかどうかがまだ分からないものに出会うための装置である。

検索は、知りたいことがすでに分かっているときには非常に強力である。しかし、本当に面白い発見の多くは、「そもそもそれを探そうとは思っていなかった」という形で起こる。

「おはようKAMEKIX」は、その偶然を少し人工的につくる。
月曜日には知らなかった文章を読む。
火曜日には誰かが考えたばかりのアイディアを知る。
水曜日には数百年前の短い言葉に立ち止まる。
木曜日には一枚の絵を眺める。
金曜日にはまだ読んでいない本を見つける。
土曜日には文章の種を拾う。
そして日曜日には、一つの問いだけを残す。

大量の情報を処理するのではなく、一日に一個だけ異物を入れる。

それが「おはようKAMEKIX」の基本思想である。

6.運用

・「おはようKAMEKIX」は毎朝7時(日本時間)に自動実行する(Scheduled Tasks)。
・一回の分量は原則800〜1200字程度とし、内容に応じて多少前後する。
・各回には簡潔な表題を付ける。
・専門用語を使う場合には、初めて登場したところで短く説明する。
・不要な挨拶や定型的な励ましは付けず、朝開いたときにすぐ本題へ入れる形とする。
・これは完成された固定フォーマットではない。

続ける中で、「火曜日は物理以外ももっと多くしたい」「水曜日に日本漢詩を増やしたい」「木曜日は科学史中心にしたい」「日曜日の問いをもっと厳しくしたい」と感じれば、その都度仕様を変えてよい。

むしろ、数か月後に最初とは少し違った「おはようKAMEKIX」になっていること自体が、この試みの一部なのである。