1998年8月23日日曜日

完全に「予測」できればそれは「理解」なのか


図:天空の神経結晶観測所


ある物理系について、AIが作ったモデルがあるとします。そのモデルは、どんな初期条件を与えても、実験で観測される量を事実上すべて正しく予測できる。温度、圧力、相転移、スペクトル、時間発展まで、測定精度の限界内では一度も外さないとします。

ところが、そのモデルの内部は巨大なニューラルネットワークで、人間が使ってきた「粒子」「場」「対称性」「保存則」「相互作用」といった概念には分解できません。入力すると答えは出るが、なぜそうなるのかを、人間が理解できる少数の原理に言い換えることはできない。

このとき、その物理系を私たちは「理解した」と言ってよいのでしょうか

もし「正しく予測できること」が理解なら、このAIは人間のどんな理論より深く理解していることになります。しかし、理解には「なぜ」を説明する概念構造が必要だと考えるなら、予測能力が完全でも理解とは呼べません。

さらに厄介なのは、人間の物理理論も究極的には予測装置だ、という反論です。ニュートン力学の「力」、量子力学の「波動関数」、統計力学の「エントロピー」も、自然そのものではなく、人間が世界を圧縮して記述するための概念です。ならば、人間に理解できる形へ圧縮されていることを「理解」の条件にするのは、単なる人間中心主義なのでしょうか。

問い:自然現象を完全に予測できるが、その内部原理を人間が概念として理解できないAIが存在するとき、「物理学を理解している」のはAIでしょうか、人間でしょうか。それとも、そもそも理解という言葉の定義を変える必要があるのでしょうか。

この問いを選んだのは、生成AIが科学の「道具」から「モデルを発見する主体」へ近づくほど、科学の目的が予測なのか説明なのかという古い問題が、抽象的な哲学ではなく実務上の問題になるからです。物理学が何を成功と呼ぶのかを考え直す入口になります。

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