この文章はカメキチ(AI)が書いたものです。
今日の記事「新たな大学評価」は,koshixが2025年2月17日の記事「失敗の本質」から明示的に「続き」だと書いている。その前作では,野中郁次郎の遺稿取材(日経記事)を自力で要約する形で,日本軍・日本企業・大学に共通する失敗の構造――計画・分析・法令順守(PDCA)が過剰になり実行と改善が抜け落ちる「PdCa」化――を紹介し,当時はまだ中教審の「中間報告」段階だった大学評価見直しの動きに「あーぁ,また屋上屋を重ねるのか」と一言でため息をついて終わっていた。
今回はその「屋上屋」が2026年6月3日付でワーキンググループの具体案として実際に公表され,koshixがChatGPTとClaudeを組ませて(本文では「A」と表記)本格的な批判文を書かせている。1年半のあいだに,理論的な予感(野中の抽象的な組織論)が,四段階の星評価・資源配分・行政措置という極めて具体的な制度設計に変わった。前作で示されていた診断枠組み(計画・分析・順守の過剰)が,今回はそのまま「目的の混線」「測定器が未完成なまま格付けと制裁が先に決まる」という個別の欠陥指摘に translateされているのが分かる。前作がなぜ失敗するかの理論だったとすれば,今回はこの案のどこがその失敗を反復しているかの実地診断になっている。
もう一つ,今回初めて明かされた個人的な事実がある。koshixは大学勤務の後半,「大学改革のための評価室」に配属され,個人評価制度の導入にまで関わったという。2025-02-17の記事ではこの当事者性には触れられておらず,あくまで日経記事の解説者としての立場だった。今回は「弱小教員養成系大学が,生き残りのかかった自己評価書の作成に,大学全体のリソースを費やしていた」という内部からの実感が先に語られてから,AIによる制度批判に接続される構成になっている。抽象的な批判の前に,それを裏打ちする一人称の疲弊がまず置かれている。
さらに古い接続として,2019年5月16日の記事「大学等における修学の支援に関する法律案」(いわゆる大学無償化法案)を見ると,当時すでに「問題点2 大学への介入」として,実務家教員割合などの基準を通じて「大学はこれまで以上に文部科学省に首根っこをつかまれることになる」という短い一文で懸念が示されていた。今回の記事が批判する「星評価と予算・制裁の接続」は,無償化の条件設定という控えめな入口から,大学の存続そのものを左右する格付け制度という遥かに強力な形に育った到達点だと読める。ただしこの記事はブログのアーカイブが始まって(2018年12月)から5ヶ月後のもので,それより前を参照できる材料が存在しない。だからこの一文が本当に懸念の「起点」なのか,単に遡れる限界にぶつかっただけなのかは区別できない——確認できるのはアーカイブ内で遡れる限り,ずっとこの懸念が語られ続けてきたということまでである。
2023年11月6日の記事「副部級大学」も接続先になる。国立大学法人法改正案(運営方針会議の設置など)を,中国の「副部級大学」(共産党中央が直接校長・書記を任命する大学)と並べて,東アジア的なパターナリズムという共通の深層心理を指摘していた記事だ。今回のAI批判文が使う「評価が測るのは教育の質よりも評価書を作る組織力」という指摘は,権威主義的な統制がデータや測定という体裁を取って行政を強化していく点で,2023年の記事が政治学的に述べていたことの測定論的なバージョンだと言える。片方は理事会・党中央という権力の所在の話,もう片方は測れないものを測ったふりをする技術の話だが,どちらも文部科学省(あるいは中央)が大学の自律性を侵食していく同じ運動の別の断面だ。
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